不徳闌けたる位の乙女



 われわれがホリー・サマーズときいてまずまっさきにあのピンナップを思い浮かべるのはごくごく自然なことであろう。『バーガー・スープレックス』にたむろしている人間を適当につかまえて、マリリン・モンローの名をあげてみせれば十人が十人、強風に巻きあげられる純白のスカートを押さえつけるあの光景を思い浮かべるのとおなじで、ある種のアイコンといっていい。
 もちろん、モンローとホリーではその知名度に天と地ほどの違いがあるとはいえ、一定数の人間にある同一のイメージを想起させるのには、なんといってもインパクトが欠かせない。このご時世、安易なフルヌードごときでは大衆相手にいささかの話題も呼びこめないが、その点、ホリーは最初から強力な武器を所持していた。  

 青い空に白い砂浜、照りつける真夏の陽光……いまこの文をタイプしている筆者さえ尻のあたりがむずがゆくなってくるような、書き割りみたいなロケーションをバックに、ホリーのピンナップは撮影された。露骨に男性器を模したような色合いと形のシャベル(この撮影を取り仕切ったナニガシ氏の将来に期待したいところだ)の柄に舌を這わせて、堂々たる媚びの目線をこちらに投げかけている。これまでにも数限りなく現れては消えていったマドンナの百何番目の類似品を思い起こさせるにはじゅうぶんだった。
 ただ、そのような凡庸陳腐なフレームワークの中にあっても、ホリーの美貌そのものには目を離しがたい魅力があったのも事実である。まず彼女には、白人の女にありがちな、獰猛な肉感めいたものが薄弱であった。花の蕾に似た小さな顔を包むように、ゆたかなブルネットが流れている。両の頬にも唇にも化粧らしい化粧を施しておらず、かわりに眦と下まぶたのみ差した濃い桃色のアイシャドウがやたらと可憐に映った。すんなりと伸びた肢体、手足はおそろしく長く、迷彩柄のビキニにつつまれた乳房は比較的小ぶりなサイズでも、北欧出身のプロフィールに恥じぬ膚の白さとなめらかさは写真越しにも十分な性的魅力をはなっていた。彼女の身体には植物に似た平淡さがあったが、貧相ということばとはまるで無縁であるのは、重力に屈しないとばかりにぴっと上向きに締まったふくらはぎや太ももを見ればあきらかだった。地にしかと根を張っている強靭な植物だ。
 だけれども、なによりみなの目をくぎ付けにしたのはその左脚、膝上五センチほどのところからジョイントされた総鋼の義肢義足に違いない。それこそ、恵まれた容姿にも居並ぶ彼女最大の武器だった。聾唖のモデル、というのは過去にいたが、あくまで外見(そとみ)に支障をきたさぬハンディであったからこそ彼女はスポットを浴びることが出来たのだ。が、ホリー・サマーズの歪形はこれ以上なくはっきりと身体のうちに表出している。そしてこの周到かつ大胆な露出こそ、ホリーが人々の意識に根を張るための、最初の一打であった。   
  
 しかしあのきわめてセンセーショナルなピンナップが話題を呼んだあとにも、いや、呼んだからこそ、私はいやに白けた気分になっていた。彼女がドラッグだの乱交パーティーだの、通り一遍のスキャンダルでゴシップ誌のページにわずかな花を添えたのちに消えていくであろうことが、なかば確信として胸中に渦巻いていたからだ。
 事務所から満を持して公開された元傭兵という経歴も、あの義足のインパクトとあわせると過剰包装のように思えて、かえって彼女の短命を助長するのではないかとよけいな杞憂さえ起こした。こういう業界にいると、人の感性が刺激に対して飽いてゆくののいかに速いかが、嫌でも身にしみてくる。純粋な美貌のみがきそわれる時代は失われて久しかった。消費者の際限ない欲望に応えるべく膨らみ続けるショーの世界はいわば女の肉の卸売市場である。バストの大きさやウエストの細さといった身体的特徴にくわえて、なるべくドラマティックな経歴や不幸な家庭事情などといった、人々の感興にうったえるようなプロフィールと属性も重要視される。事務所側がそれらしい話をいくつかでっちあげることもある。どうせ本気でその経歴の真偽を調べようなどというヒマな人間は数少ないのだ。アル中の母親だとか獄中の父親だとか生き別れの兄だとか、そのような情報をスリムな身体とバレーボールのような乳房で包み込んだ彼女たちは、さらにきびしく選別され、出荷されていく。そういう濃い味付けのなされた加工美女たちで舌と目が肥えた人々を前に、奇形の物珍しさはそう持続しない。だが実際にランウェイを歩くホリーを見ると、そのような心配はすぐに無用と知れた。
 
 
 はじめてランウェイにあらわれたホリーのすがたは、他のモデルのように絢爛華麗たるものとは言い難かった。なにしろあの義足である。元傭兵であるホリーの足さばきと姿勢は実にきびきびとしたものであったが、それでも彼女が歩を進めるたびに、金属が床を擦る乾いた音がものものしく会場に響き、居合わせた観客は間近で見るその異様に目を見張った。しかし、その奇形の誇張こそがホリーの狙いなのである。神経が通り、随意に動くはずの右足にあえて切り立ったようなヒールを履き、もともと細い足首をいっそう締めつけ、肉体のさらなる不自由をたのしんでいるように見受けられた。
 先に述べたように、ホリーは肉感あふれるグラマラスな、いわゆるセックスシンボル型に分類されるような顔立ちとスタイルではない。どちからといえば、モードの独創性のもとに素人目にはボロキレ同然の布一枚を纏って登場する役に割り振られる容姿だ。要求されるのは華よりも棘である。
 そういう規則にのっとって、ホリーも虹色の蝶をかたどったおおきなつけまつげに、扇風機のファンそっくりの形をしたすてきなレース編みの帽子をかぶって登場したが、アクセサリの派手なぶん、服装はひかえめに黒のタイトドレスという出で立ちだった。
 
 奇抜なメイクとアクセサリ、肌に張り付くぴったりとした服、足を締め上げるハイヒールという組み合わせの中で、むきだしの義足は本来ならばいちばん 右足が持つ女の脚本来の優雅さや、愛らしい円みや、筋肉が動くときのなまめかしいうねりももたない、この無粋きわまるまがいものの脚に、なまの膚の解放感が棲んでいた。素肌との継ぎ目、機械と肉とのシャープな境界、徹底されたフラット。私の貧困な想像力を揺すぶり、何かしらの欲望を呼びこむ力を持った魅惑の出入り口……。 不具物のまさに不具者たる箇所に情欲をそそられ、美の感懐に打たれること。美しいものに感じ入る心とあまりの不道徳に恥じ入る心の重なり合ってうまれた波が、ホリーがランウェイをねり歩いているあいだじゅう、私をたゆたわせていた。完璧な戦略であった。こういった宙吊りの状態を作り出すことで、ホリーはたえず我々の神経をかきみだす存在になりえたのである。
 彼女が女王のようにほほえんで踵を返し、またあの不吉な金属音を響かせながらランウェイから去ったときには、会場のだれしもが、ホリー・サマーズがたんなる見世物・一過性のたぐいでは終わらない女だと思い知ったに違いなかった。



 私はすぐに事務所とかけあって、ホリーへのインタビューをとりつけた。一週間後、シーサイドカフェにあらわれた彼女はほとんど水着と変わりないようなピチピチのホットパンツをはいていた。よって当然、左の脚はむきだしだった。そんなはずもないのに、こちらの脚も右の脚と同じように、この熱烈な太陽に汗ばみ蒸れて、腿の裏に鼻を近づければしめった柔肌の匂いがするのではないかと思われた。この日私ははじめてホリーへのインタビューをすることでずいぶん浮かれていたし、この日の暑さはサンタデストロイでも記録的なものだったから、いくらか頭をやられていたのかもしれない。
 日光はさまざまの角度から義足に反射して、にぶい銀の光は救難信号のように私の網膜のうちでたえずまたたいた。彼女は私の前に座って、両目を覆っていたべっ甲のサングラスを外す。

 「お待たせしたかしら?」

 間近で見るとすぐにわかったことだが、左脚をのぞいて彼女の顔やからだにはどこにもメスの入った痕跡がないようだった。このことは私を妙に興奮させた。
 
 世間話もそこそこに、さっそく私は用意していた質問を投げかけた。ーーずいぶん変わった経歴だけど、なぜ義足のままランウェイにあがろうと思ったの?
 
 「その方がみんな私を見るから」
 当然でしょう?とつけくわえたホリーに、私はおどろくよりも呆気にとられてしまった。情けなくも「へえっ?」と声をうわずらせるような大失態まで犯した。素のままの私を見てほしかったとか、同じように身体的欠落を抱える女性にも自信を持ってほしかったとか、そういうウェルメイドな返答がくるかとばかり思っていたから。
   話題性のためだということはこちらとて百も承知だったが、こうもあっさり、それも彼女の方から明かされてしまうとは考えもしなかった。ホリーはそんな私を見て、いたずらの成功した子供みたいにくすくす笑っていた。

 「退役してモデルになったのも、より多くの人に私を見てほしかったからよ。戦場で私に注がれる視線は敵味方問わずそれは濃密だったけど、私の姿を見とめて、そう言う視線を向けてきた次の瞬間には爆風で吹っ飛んでいるか、頭を撃ち抜かれているか、蜂の巣にされているかなんだもの。私にとってはその視線こそが生きている唯一の喜びのようなものなのにね。
 どんなに美しい花だって、未開の地でひっそり咲いているのでは蕾のまま開かなかったのと同じでしょう。誰かに発見され、愛でられて、手折りたいと思われてこそよ。それと同じ。私もね、もっと多くの人に、それも長期的に欲望されたかったの。私の姿ではげしく発情してほしいの。カメラのレンズが一斉にこちらを向くたびに、つづけざまのフラッシュが焚かれるたびに、私はこの倍の数、男たちの舐め回すような欲望の視線があるのだと想像して身震いせずにいられない。多くの視線を集めるのにこの足はおあつらえむきのスティグマだったのよ。ぎらついた男だらけの戦場から帰ってきた義足の女傭兵なんて心躍るシチュエーションだと思うわ。あなただって私の経歴と脚を見て、"いろんなこと"を想像したでしょう?」
  
 ちなみにこの時のホリーはまったくのしらふであった。

 「この仕事をはじめてあらためて痛感したけれど、たいていの人間は肉体と精神のあいだになにかとてつもない距離を感じているのね。女はとくにその傾向が強いわ。女のからだがとりわけ面倒くさい機能をたくさん持っているからだと思うんだけど……。月に一度はどうしようもなくブルーな気分にならないといけないし、ほかにもいちいち体重の増減を気にしたり、永久脱毛処理をしていても、『万が一』がないかどうか剃刀片手に首を不格好にひねりながら脇の下や背中をあらためなきゃいけないんだものね。私の意志と関係なしに、私の身体は勝手にああだこうだと変化する。
 ちっとも思う通りにならない肉の塊に、我が物顔で好き放題されるのも癪でしょう? だから女は身体をいろんなもので飾るの。好きな色の服を着て、好きな高さの靴を履き、己の意志や主張や欲望を身体に語らせるの。肉体はあくまで私の意志の附随物にすぎないことを思い知らせてやるためにね」


 哲学だね、と軽快に返しながら、私はどうしようもない頭痛に見舞われていた。彼女の言っていることがなにひとつとして理解できなかった。私が男だからだろうか? 私はかろうじてさわやかな笑みだけは保ちながら、煙草を吸ってもいいかな、ときいた。

 「どうぞ。副流煙なんていまさら気にする職業じゃないわ」
 
 「これは私にとってなまの皮膚であり、自分の意志で身に付けた装飾品でもあるの。これに脚を食わせたことで、私は自分の身体を自分のものとして、多少は意識できるようになったわ。これさえあれば人の視線には事欠かないしね。誰かから視線を向けられて、そこにあることを認識してもらわなきゃ、肉体なんて手がかかるだけの代物だわ」
 
 いよいよめまいを起こしながら、私はかろうじてこう質問した。――なるべく人の脚に似せた義足もあるけど、わざわざそんな、いかにも機械みたいな義足を選んだのはやっぱり目立つため?
 
 「それもあるし……冷たい機械に身体の一部を明け渡している女って、なんだかエロティックじゃない。レトロSF映画に出てくるロボットの娼婦みたいで。ところであなた、さっきから私の脚の話しかしてくれないのね」

 あわてて私はいずまいをただした。彼女の機嫌をそこねたかと思ったのだ。 

 「もっと私の顔をしっかり見てくれなくちゃ。なんといっても、これがいちばんの売り物なんだから」
 そのときホリーが私を見据えたときの表情を、私はどう書き表わしたらいいのかいまだに考えあぐねている。ただ、今まで私に向けていたフォトジェニックな微笑の一辺倒から、ずいぶんとかけ離れたものだった。
 そのときばかりは彼女の瞳は猫のように細まった。私が、いや、おそらくは多くの人間が遠い昔に置き忘れてきたような憂愁が、そのおもざしを彩っていた。私はいっとき頭痛もめまいも忘れ、ホリーの顔を……。









 トラヴィスはそこで記事を読むのをやめると、胃の底でうずうずとうごめく衝動に突き動かされるがまま、荒っぽくハンバーガーにむしゃぶりついた。一拍置いてから盛大にむせる。
 と、その背中を、ぞっとするほどやさしい手つきでさするものがある。

 「センチメンタルは終わった?」
 
 トラヴィスの耳朶に、吐息めいた甘い声が吹き込まれる。振り返ると、シルヴィア・クリステルが立っていた。いつからいたのかはわからないし、いまさら追求する気もトラヴィスにはない。この女は思い切り存在感の色濃い幽霊のようなもので、どこにでもあらわれ、そうかと思えばふいに忽然と姿を消す。唯一知れているのは、彼女が掛け値なしの美女というだけであり、トラヴィスにはその理由だけでもはや十分なのだった。 

 淡いブロンドのよく映える、黒いタイトスカートのスーツという選択は、機能性ではなくそのスマートなシルエットが浮き彫りにする起伏に富んだ身体の輪郭をより強調するゆえだった。こういう誘惑のさざめきを引き起こす精密巧妙な装置を、彼女は身体中にいくつも仕込んでいるのである。

 「『名前だけで十分だ』……ずいぶんな名台詞だと思ったのにね。ガッカリだわトラヴィス、勝ち方も含めて倍ガッカリ――結局こうしてシコシコ彼女に関する情報を漁っているんだもの。いい、トラヴィス? 彼女はすでに過去よ。過ぎ去った女よ」

 シルヴィアはテーブルに広げられたホリーの記事に、捨て猫を見るときの傲慢な慈愛の一瞥をくれた。ビショップにホリーの名前を教えて、探してもらった一冊だった。ビショップはほかにもいくつか、ホリーに関する記事の載った雑誌や書籍をすすめてくれたが、トラヴィスは一冊だけでかまわない、とかたくなに固持した。
 
 「ねえトラヴィス、過去になにがあるっていうの? UAAランキング元六位の殺し屋ホリー・サマーズはあなたが葬ったのよ。あなたのランク制覇の踏み台のひとつ、飛び石の一つとして死んだの。頂点に行くまでにあといくつ人間の命を容赦なく踏みつけ足蹴にしていくかぐらい、わかってるわよね? 感傷に浸っている暇なんかないのよ。あなたに必要なのは疾走なの。あらゆる思考を寄せ付けないスピードなの。過去はさっさと殺してしまいなさい」 
 
 トラヴィスはホリーの顔を思い出そうとする。だが思い浮かぶのはいつも、その自害の瞬間だった。彼女は収穫した果実に口づけする乙女のような面持ちで手榴弾を唇にはさむ。トラヴィスの制止もむなしく手榴弾は爆ぜ、彼女の顔は一瞬にして爆風と衝撃波とで押し潰される。みながこぞってもてはやしたであろう端正な顔には鉄片がいくつも食い込み、ぐしゃぐしゃの肉塊は人間らしい形を保つことさえ許されずに、炭と化して消え失せたが、その両の脚はやはりしっかりと、美しい女の矜持を示すようにして地に根ざしていた。
 誰かに見られることではじめて肉体は意味を持つ、と彼女は語った。そしてトラヴィスには、私の顔をおぼえていてね、と語りかけた。
 その二つの言葉のあいだに横たわる寓意を、トラヴィスはうまく言い表すことができない。
 

 「勘違いするな」シルヴィアから目をそむけながら、トラヴィスはやっと口を開いた。
 「あら、私が何を勘違いしてるって言うの? 童貞こじらせたオタクってのはこれだから厄介ね。傍から見たら気味が悪いだけの自己満足やセンチメンタルを、ずいぶん高潔なものだと勘違いしてない?」
 「いまお前に理解してもらおうなんざこれっぽっちも思ってねえ。俺が一位になったとき、ベッドで心と身体の限りを尽くして教えてやるよ」
 シルヴィアは、途端に白けたような顔つきをした。
  

 きゅっと上がったヒップを振りながらシルヴィアが出てゆくのを見送ると、トラヴィスはハンバーガーとポテトの油でぬめった指先をナプキンで丹念にぬぐった。
 インタビュー記事からページを繰ると、ホリーがデビューを果たしたあの記念すべきピンナップが現れる。
 ほんの少しのためらいののち、彼は紙上に――ホリーの頬に、そっと指をすべらせる。


 (了)

・ノーモア無印のランカーではホリーさんが一番好きです。あの散りざまは卑怯だと思いませんか。

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