かげろう嬢

 

 「ずいぶん渋い車を転がしてるな」

 助手席に乗り込みながらパズがつぶやいた。

 「こういう趣味の女はおきらい?」

 米帝のエージェントと名乗るその女はかるく首をかしげて笑った。シャンデリアの飾りのように垂れたみごとなブロンドのおくれ毛が、ささやかに揺れる。それだけで車中がわずかに華やぐようだ。黒いハンドルの上にそえられた手の白さが、地下で長い時間をかけはぐくまれた鉱物を思わせる。たいていの男ならそこに自分のものをかさねてみて、思った通りの温度と質感かどうか確認してみたいとそそのかされるだろう。そういう色だ。

 輝かしい金髪、入念に切り込まれた彫りのふかい目鼻立ち、肉感的な唇とその小山をいろどる下品すぎない赤い口紅、他国の、とくにパズたちのような東洋人が思いえがく白人種のステレオタイプが綿密に再現されていた。おそらくかの国のエージェントにはこの型の全身義体が奨励されているのだろう。なにしろこの容姿だけで、じゅうぶんな名刺代わりになる。
 
 しかしパズの興をそそったのはべつのところだった。全身義体の人間のおおくは、しみや皺ひとつない肌や完璧なシンメトリーをえがく顔のパーツといった人形の端正を手に入れると同時、美がもたらす無個性をも、なかば宿命的に抱え込むことになる。
 ヴィヴィーのくちもとには、その没個性へのささやかな抵抗のように、小さなほくろがそえられていた。わずか数ミリの黒点が、退屈な美貌に一石を投じていたのだ。この趣向がパズには好ましかったのである。米帝の技術者もなかなかいい趣味をしていると思った。
 

 「いや、懐古趣味もいいもんさ」
 「でしょう? 車も男も、ちょっとぐらい古風で、御しがたいほうが燃えるわ。私自身の外見がこのとおり(と彼女は肩をすくめた)二十世紀のピンナップガールさながらだもの。きっとそのせいね。最先端って尻込みしちゃう」
 「俺はあんたのお眼鏡にかないそうか?」
 「あら。ふふ、そうねえ」

 ヴィヴイーは芝居がかったしぐさで顎に手をそえ、値ぶみするようにパズの全身をくまなくながめた。
 
 「見かけは平穏そうだけど、立ち振る舞いを見てれば相当の修羅場をくぐってきた人間だっていうのはわかるわ。その気になればその平穏なお顔のまま、敵の喉笛を掻っ切れる男よね。むきだしの、ぎらついた男よりそういう影のあるほうが好きよ。しかもその影をちらちらひけらかさない。ウン、これもいいわね。高ポイント」
 「光栄だよ」
 「あらあら、舞い上がるのは早くてよ。そう、あなた、ちょっと忠実すぎるのよねえ。私、車も男も手ごたえがなきゃイヤなの。なのにあなたったら、あのお嬢さんにはまるでお姫様につき従う騎士さまみたいじゃない? あれじゃ張り合いがないわ」 
 「どうだろうなあ。騎士のふりをした狼かもしれないぜ」
 「まあ怖い。そしてとってもすてきだわ。でもそうねえ、やっぱりまずは、ねえ」
 「まずは?」
 「――まずはやっぱり、乗ってみなくちゃはじまんないわ」

 なるほどたしかに古風な女だった。こんな誘惑をする女は、いまどきお目にかかれない。

 「よし」パズはほがらかに言った。「さっさとお仕事を終わらせねえとな」
 「ええ、そうしましょう。そのころには交通システムももとに戻って、絶好のドライブ日和になるわ」
 「せいぜいいい走りができるよう、努力するさ」
 「いやねえ、言ったでしょう。私、コントロールのむずかしい方が好きなのよ。さ、そろそろ出ましょうか。お姫さまがお待ちかねだもの」

 ヴィヴィーが目線を正面に戻す。そのととのいすぎた横顔よりも、パズの視線は結いあげられた彼女のブロンドに吸い寄せられた。毛量ゆたかな彼女の頭髪は、重く流れる河を思わせる。それをまとめあげているのは、おどろくべきことにちいさな真珠色の髪留めがひとつきりであった。髪の質量に対してどう考えても心もとないようなその髪留めが、いったいどのような仕組みと過程を経ればああも見事にあの金の河を統べることができるのか、ぜひ手ずからあの髪飾りを解き、たしかめてみたかった。
 


 

***

 真珠色のバレッタを、パズは天井の灯りに透かしてみる。 
 古アパートの切れかけた電球を光源にしても、その輝きは可憐だった。そしてやはりどう考えても、この妖精の翅のようなささやかな髪留めひとつで、あのブロンドの大河を部分的にも御せるなどとうてい、信じ難かった。心底仕組みが知りたかったものの、その謎を解く機会は永久にうしなわれてしまった。
 
 バトーの連行やらパズ自身の搬送やらなにやらで、あのとき現場はずいぶんごたついていた。そんな中、ロジコマに搭載されたガトリングガンの掃射で蜂の巣にされ、残骸と化した彼女のちかくに落ちていたちいさな髪留めひとつを回収するのは、さほどむずかしいことではなかった。
 
 「古風どころか、最先端だったわけだ」
 「なんだそれ」

 横であぐらをかき、いかにも手持ぶさたにタブレット端末をいじくっていた新入りの巨漢がたずねてくる。声にかすかないらだちのあるのは、張り込みに進展がないせいばかりではないだろう。この男が自分にあまり友好的でなく、むしろ敵意のあることはとっくに承知していたが、それでもパズはにこやかに応じた。
 寛大さをひけらかして優位に立ちたいなどというせせこましい心事は、パズには無縁である。商売柄うとまれることにも用心されることにも慣れきっており、いまさらそんなことでいちいち感情が動いたりはしない。むしろ募った不信感を隠さぬ、あるいは隠すことのできないこの男の素直さに好感さえおぼえたほどである。悪意ないふるまいと親しげな笑顔の内側にごまんと刃をしのばせた人間ばかりに出くわしてきたので、期せずしてとてもめずらしい野生動物に行きあったような気分になるのだ。
 
 「のがした魚は大きかったという話さ」
 「は?」
 
 いかな偶然による産物かはしれないが、彼女はかぎりなくゴーストにちかい自我をそなえたAIだった。人間の模倣はAIのありふれた機能だが、パズ自身の感想を言わせてもらえば彼女のそれは模倣の域を超えていたようにも思う。職務柄(と多少の個人的趣味で)さまざまの女を見てきたパズでさえ、彼女のことを完璧に、ひとりの人格ある女だと信じていたのだ。もしことの詳細がおもてざたになれば、世紀の大発見として連日メディアや学界を騒がせたにちがいない。そして自分は、ゴーストの宿ったAIと寝た史上初の男になり得たかもしれないのだ。
 
 「……思ってたんだけどさあ」
 「うん?」
 「あんたの言い回しって、すげー鼻につくよな」
 「はは。そりゃすまん、性分なんだ」
 「そうかい、そりゃたいそうな性分ですこと」
 「まあ、そうつれないことを言わないでくれ。これから長い付き合いになるぜ」

 パズは相手がいやがるとわかっていながら、ボーマのひろい肩になれなれしく手をかけた。こういう相手には一度思いきりこちらへの嫌悪感をむきだしにさせておいたほうが、かえって付き合いやすくなる。
 はたしてボーマは思った通り、心底いまいましげな顔をしてその手をはらいのけた。大きく歪ませた唇から舌打ちまで飛びださせてみせる。こういう過剰な拒絶の身ぶりは繊細な人間に特有のものであると知るパズは、いよいよこの巨漢に可憐さのようなものさえ覚えはじめていた。
 
 「俺をうまいこと操縦するつもりでいるんなら大まちがいだぜ、陸軍警察の元大尉どの。俺はな、レンジャー時代から陸軍警察の野郎ってのが大嫌いなんだ。コソコソコソ、ネズミみてえに動き回っちゃ人の仕事を横取りして、人を騙すことになんの罪悪感も持っちゃいねえ」
 「耳が痛いな」
 「けっ、白々しい。そうやって心にもねえことをぺらぺら言うあたりも大嫌いなんだよ。とにかく少佐やバトーがなんと言おうが、俺は一ミクロンだっておまえを信用するつもりはねえ。あんたにくらべりゃまだサイトーのほうが信用できるってもんだぜ」
 「そうか。そりゃあ、燃えるな」
 「はあ?」
 
 ボーマはさきほどのものよりももっと怪訝な顔をした。彼の両の眼窩におさまっている義眼は瞳孔や光彩のないために表情がつかみにくく、もとよりそれを目的として装着するものが多いのだが、そんな身の上ながらここまでわかりやすい感情表現ができるのは一種の才能だと思う。 
 
 「御しがたい方が、攻略し甲斐がある」
 「……てっめぇ、人をギャルゲーのキャラクターみてえに」
 「ギャルゲーってなんだ? ……ああ、なるほど、こういうのが好きなんだな。意外、でもないか。ウン、覚えておこう」
 「この野郎!」
 
 歯をむき出しにするボーマに追い打ちのように笑いかけてから、パズはもう一度例の髪留めを手のひらのうえで眺めてみる。うすく透けるようなきらめきをもつそれは、妖精の翅か、そうでなくともなにかかろやかないきものの抜け殻のようにも見えた。
 
 パズはしばらくその髪留めを所持していたが、ある日なにかの拍子にあっさりとなくなってしまった。しかしあえて探そうという熱意は湧いてこなかった。古風な彼女のことだから、忘れ物さえも慎ましやかに取りにきたのだろうと、彼はごく自然に考えたのだ。
 

 (了)
 

border2のパズとヴィヴィーの即席コンビが好きでした。洋画ぽい。